ABOUT HENRY [

イングランド国王ヘンリー8世(1491〜1547、在位1509〜1547年)は、テューダー王朝(1485〜1603年)の開祖ヘンリー7世の次男として生まれた。父王は即位後もたびたび王位奪回をもくろむ叛乱に巻き込まれ、ブルゴーニュ公爵家やハプスブルク家からの侵攻に怯えながら、テューダー王家の安泰とイングランドの独立維持とに腐心していた。

18歳でテューダー王朝2代目の君主に即いたヘンリーは、そのような受け身で地味な性格の父とは異なり、自分はヨーロッパ国際政治の「平和の調整役」になろうという強い野心を抱いていた。それは側近ウルジー枢機卿の働きもあり、1518年にはロンドン条約へと結実し、ルターの宗教改革に対抗すべく、カトリックの君主同士は戦争はしないとの約束を各国の王侯たちに誓わせたのであった。

しかし当時のイングランドは弱小国に過ぎず、ヨーロッパ国際政治を左右していたのは、神聖ローマ皇帝のカール5世(ハプスブルク家)とフランス国王のフランソワ1世(ヴァロア家)であった。ヘンリーはこの二人の間を右往左往しながら、イングランドの命脈を保つ以外に何もできなかったのが現実だったのである。

さらにヘンリーが頭を痛めていたのが自らの後継者問題であった。イングランドの法では女性でも王位を継ぐことはできたが、王家の血を引く男性がいつでも王位を簒奪できるような状態は避けたかった。ヘンリーはどうしても男子の世継ぎが欲しかったのである。

ヘンリー8世というと、生涯に6人の妻をめとった「無節操な」人物のようなイメージが強いが、その実、テューダー王家を守るためにできるだけ多くの男子継承者を残そうとして、身体の丈夫な女性との結婚を繰り返していたのである。他ならぬ自分自身が、兄(アーサー)と弟(エドマンド)を幼い頃に亡くしており、父王にとって唯一の男子継承者となってしまった経験がそうさせたとも言えよう。

身長180p以上、体重も100sを超えるイングランド史上最巨漢の国王となり、在位も父を超えて37年間に及んだヘンリーではあったが、彼自身もまた父と同じく、テューダー王家の安泰とイングランドの独立維持とにその生涯を捧げたのである。その遺志は、彼の2番目の妻アンとの間に生まれた次女エリザベス1世に受け継がれ、日本で江戸幕府が開かれたのと時を同じくして(1603年)、テューダー王朝は幕を閉じるのである。

ヘンリーの死から460年以上を経た今日まで、イギリス国王で離婚を経験した者はいない。イングランド国教会の首長である国王(女王)は離婚すべきではないとする道徳的な規範が、その後数百年の間に定着したといえよう。20世紀後半にダイアナ妃と離婚したチャールズは「皇太子」であるがゆえに離婚できたのである。  その意味で、2011年4月に世界中から注目を浴びて結婚したウィリアム王子は、王侯の生まれというだけで相手を選んで不幸な結婚に終わったご先祖たちとは異なり、たとえ庶民の出でも長年付き合ったキャサリン妃との幸せな結婚を実現することで、英国民から絶大な支持を集めたといえようか。